有限会社畑中義和商店

製造業

技・サービス

しごと紹介

1. 並べられている”白いもの”はなに?

まるでお餅や豆腐が天日干しされているようなこの光景。

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並べられているのは、お餅でも豆腐でもなく……実は「こんにゃくスポンジ」と呼ばれる商品だ。その名のとおり、〝食べるこんにゃく〟でつくられた洗顔用のスポンジのことで、ここ多可町では明治後期から100年以上にわたり製造されてきた。

「【技・サービス紹介】で説明しているように、こんにゃくスポンジの作業は真冬の厳しい環境下で行います。当社では創業以来の手作業の技を継承し、一つひとつ愛情を込めてつくり続けてきました」

そう説明するのは畑中義和商店の藤原尚嗣社長。2017年2月に世代交代し、社長に就任した若き五代目だ。

「こんにゃくスポンジのベースは『凍りこんにゃく』と呼ばれる保存食です。この凍りこんにゃくの歴史はさらに古く、300年前の江戸時代からこの地域で製造されていました。最盛期の大正時代には、多可町・氷上郡を中心に製造業者が460人にのぼり、『凍りこんにゃく組合』まであったそうです」

このように多可町で伝統商品の製造が連綿と続いてきたなか、明治後期に入り、凍りこんにゃくの新しい使用法として「こんにゃくスポンジ」が地域でつくられるようになった。

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「ご存知の方もいらっしゃると思いますが、こんにゃくを凍らせて解凍するとスポンジ状に変化します。この特性を利用して、江戸時代から赤ちゃんの肌洗い用としてスポンジ状のこんにゃくが使われていました。これをヒントに凍りこんにゃくの形状を石鹸型にして、女性の洗身用に売り出して人気を博したのです」

2. 製造業者460人からたった一社に

ところが昭和に入って戦時色が濃くなり、原料の入手が困難になったことから製造業者が激減。加えて昭和の終わり頃から暖冬が増え、重要な製造工程である「冷凍作業」に支障をきたすようになった。

「そうした結果、凍りこんにゃくやこんにゃくスポンジを製造するのはこの地域で当社一社になりました。さらに私の知る限り、凍りこんにゃくを手がける業者は全国でも当社を含めて3社しかありません」

製造環境が厳しさを増し、業者が次々と暖簾を下ろしていくなか、地域で畑中義和商店、ただ一社が孤塁を守ってきたのだ。

3. 創業130年の伝統と技を受け継いで

そんな畑中義和商店の創業は明治20(1887)年で、2017年で創業130年を迎える。凍りこんにゃくづくりからスタートし、明治後期に「つやの玉」と呼ばれるこんにゃくスポンジの販売を始めた。

「つやの玉」は100パーセント天然素材で製造し、合成着色料や防腐剤なども一切使用していない。さらに主成分のグルコマンナンは水との親和性が高く、洗い心地がソフトなので、女性の洗顔や赤ちゃんの肌洗い用に最適だ。

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「当社が創業以来の伝統と技を守り継ぎ、つやの玉をつくり続けてこられた理由の一つは設備投資にあります。昭和の終わり頃に三代目の畑中義和が冷凍庫を導入し、外気温に左右されずに冷凍作業ができる環境を整えたのです」

設備投資を機に製造が軌道に乗り、1987年に有限会社畑中義和商店として法人化を果たす。最盛期のバブル時代には、「つやの玉」を年間100万個以上も製造していたという。

現在は「つやの玉」を主軸に祖業の凍りこんにゃく、さらにつやの玉を抗菌加工して利便性を高めた「こんにゃく美肌シリーズ」などを展開している。




技・サービス紹介

1. 自然との共生で生まれた叡智の結晶

「植物を原料にして、太陽と風を利用して製造する。自然の恩恵と昔ながらの手作業でつくるこんにゃくスポンジは、まさに自然と人間の叡智の結晶です。だからこそ製造工程を多くの人に知ってもらいたいのです」

藤原社長がそう力を込めるように、こんにゃくスポンジの製造は約8割が屋外で行われる。しかも作業期間は11月~3月の厳寒期。多可町は降雪が多い地域だけに、天日干ししたこんにゃくが翌朝に雪に埋もれていることもしばしば。

「だから日が昇り雪が溶け始めるまでに、こんにゃくに降り積もった雪を手作業で取り除かなければなりません。冬の期間中、私たちの仕事は毎朝4時から始まるのです」

こうした厳しい製造環境を含め、基本的な製造工程は130年前の創業時から変わらない。そのうえで、商品づくりに長けた四代目の畑中博氏が商品改良のアイデアを次々投入し、品質を大幅に向上させてきた。

2. 「骨身に沁みる」辛い作業とは?

では製造工程をみてみよう。具体的な流れは次のとおり。

一、 こんにゃくをつくる
二、 こんにゃくを凍らせる
三、 解凍して水を切る
四、 天日干しで漂白する
五、 屋根の下に吊るし、乾燥させる

まず「一、こんにゃくをつくる」では社外秘の調合レシピをもとに高品質の食用こんにゃくを製造し、次工程(「二、こんにゃくを凍らせる」)に移る。この第2工程の温度設定が品質を大きく左右するという。

「冷凍庫の温度設定のマニュアルは一応あるのですが、最終的には外気温や湿度を頼りに肌感覚で微調整しなければなりません。仮にわずかでも温度設定が狂えばスポンジの水切りが良くなりすぎたり、反対に悪くなりすぎたりする。商品づくりに終わりはなく、両者のバランスは一生追究していくしかないですね」

静かに語る藤原社長の表情から、商品づくりに対する熱意を感じる。

この第2工程と次工程(「3.解凍して水を切る」)を何度か繰り返すことで、独特のスポンジができ上がる。

次いで乳白色から真っ白にするための工程(「4.天日干しで漂白する」に移る。この工程は極寒の屋外で10日ほどかけて行う厳しい作業だ。

「具体的には、水分を含ませたこんにゃくを棚場と呼ばれる作業台に手作業で並べていきます。片面を約四日、もう片面も同じく四日、天日干しすることで真っ白に仕上がるのです」

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化学物質で漂白すれば一日の作業で済むが、同社は一切使用しない。水分を含んだ冷たいこんにゃくを手作業で並べる辛さは推して知るべしで、前述のように毎朝の雪かきの負担もある。

「さらに、この工程にはもっと厳しい作業があります。凍えるように冷たいこんにゃくを一つずつ手に取り、弊社独自の方法で仕上げの作業をしていくのです。このひと手間により、肌あたりがソフトで水切りもいい、そんなバランスのとれた商品に仕上がります」

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従業員たちは商品の状態を手の感触で確かめるため、あえて薄手の手袋をつけているという。「骨身に沁みる」とはまさにこの作業をいうのではないかと思えてくる。

漂白工程が終わるといよいよ最終工程(五、屋根の下に吊るし、乾燥させる)だ。横向き、縦向きで計3週間ほど自然風で乾燥させていく。

「北風を利用して乾燥させるわけですが、早く乾いてしまうと商品のかたちがいびつになってしまいます。ですから風の強さや外気温などを考慮してカーテンの枚数を調整するなど、良い条件で乾燥させるための工夫が求められます」

そう説明する藤原社長は過去に風の取り込みに失敗し、商品の質を落としてしまったという。

「この最終工程もマニュアルはあるのですが、冷凍庫の温度調整と同じく最終的には感覚が求められる世界です。失敗しながら体で覚えていくしかありません」

3. 美しい音色が完成の合図

人の手を介して、徐々に完成へと近づいていく「つやの玉」。でき上がりの合図は「カラカラ」という美しい音色だ。

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「ほら、屋根の下に吊っているこの商品を振ると乾いた音がするでしょ。この音がすれば完成です。反対に、乾燥が足りない商品はもっと鈍い音がしますから。最後は耳で聞き分けて取り込みます」

かくして1ヶ月半~2ヶ月にも及ぶ全工程が終了し、真っ白に輝く「つやの玉」ができ上がるのだ。

「私がひと通りの工程の説明をしましたが、この仕事は寒い中で働いてくれている従業員の皆さんがいるからこそ成り立ちます。今後も自然と共生し、より安全・安心な商品を従業員たちと力を合わせてつくり続けていきます」と表情を引き締める。



経営者紹介

有限会社畑中義和商店 代表取締役 藤原尚嗣氏

1. 誇れる商品を開発し、お客様に提供したい

大学では化学を専攻し、将来は研究者を目指していました。ですが事情で大学院への進学はあきらめ、東京の化粧品会社で働くことになりました。化粧品会社を選んだ理由は、研究者として商品開発に携われると思ったからです。

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その化粧品会社では、海外の観光客向けの商品を主に開発・販売していました。入社時の希望どおり、化粧品の開発から店舗の販売管理まで責任ある仕事を任せてもらえたのですが、自分の考えとは異なる商品づくりに思うところがあったのも事実です。

というのも大学で化学を学んでいたので、自分が開発している商品のクオリティがどの程度のものなのかが理解できたんです。胸を張って送り出せるとは言い難い商品を、メイド・イン・ジャパンのブランド力で販売する。売上は伸びましたが、自分がつくった商品をお客様が購入される姿を見て、正直嬉しいと思いませんでした。

そんな経験をしていたので、「もっと自分が誇れる商品を開発し、適正価格で販売したい」――そんな思いを募らせていたのです。

2. 「会社を継がせてほしい」と直談判

畑中義和商店は私の遠戚でもあったので、「つやの玉」は昔から知っていました。前述のような経緯もあって仕事に問題意識を抱いていた私は「つやの玉」を扱いたいと思い立ち、先代に連絡を入れたんです。

いろいろ話を聞く中で後継者を探していると知り、経緯は省きますが、「ぜひ会社を継がせてほしい」と先代に直談判しました。当時24歳の若さだったこともあって先代も含めた周囲は驚きましたが、「つやの玉」に惚れ込んでいた私は伝統を絶やしたくなかったんです。

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周りの人から「大きな決断だったでしょう」と聞かれることもありますが、私自身はそうでもありません。むしろ100年以上の歴史を持つ会社を託してくれた先代こそ、大英断だったに違いありません。

先代との話し合いの結果、私が継ぐ方向で話がまとまり、化粧品会社を退職。営業経験を積むために大手人材会社に就職して1年間の修業を経たのち、2016年2月に畑中義和商店に入社。その1年後の2017年2月、五代目の社長に就任しました。

3. こんにゃくスポンジを日本の文化にしたい

商品づくりに並々ならぬ情熱を傾けてきた先代からは、「現場」を何より重視する商売の心得を学びました。先代から授かった教えを胸に刻み、「つやの玉」を後世に残していくのが五代目としての使命です。

「つやの玉」は世界に通用する素晴らしい商品だと確信しています。一人でも多くの人に「つやの玉」を知っていただき、ぜひ使っていただきたい。そしてこんにゃくスポンジを洗顔で使うことが世の中で当たり前になるように、もっといえば文化になるようにしていきたい、そんなビジョンを描いています。

そのために守るべき伝統をしっかり継承しながら、同時に時代に合った経営も模索していきます。

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社長に就いたといっても経営者としてはまだまだ未熟者です。諸先輩方から学ばせていただき、時に頭を打つ経験もしながら、経営者としての自分を磨き、ビジョンに向かって努力を続けてまいります。



ライター:高橋 武男